準備室 落合白山神社
創建の年代は詳かではないが、七体の木の神像の鑑定は遠く平安時代の作と思われます。以来、落合村(唐木田・中組・山王下・青木葉・上ノ根の五字)の鎮守様としてありましたが、江戸時代に石川県加賀一ノ宮の白山比咩神社を勧請、遷座しました。祭神は伊邪那岐命(イザナギ)、伊邪那美命(イザナミ)。
地域神社の誕生 田代貫治「九頭龍神社」52pより
本来地方の鄙びた神社の祭神は、山からの地下水が流れ出て、田圃に灌(そそ)がれるような処に建てられたものが多く、従って農耕の神様といっても、もともとは、ご神名がはっきりしていた神様を創祀したものでない。
山から降りて来て、実りを斉す神様をお祀りしたものであり、その神様は何という神様であるのか、判らなくても農民には、一向に差し支えないのであるから、夫夫が信じている神様であれば良いからである。
或る民俗学者の研究によれば、田の神は、春になる頃山から降りた山の神が、山の神になるという説もあり、又、或る地方の田の神の祭りの行事を研究した内容から、先祖の神が田の神になる。と思えると、研究誌に発表したものを読んでいる。それがどの地方であるのかは失念したが、これは農家の春の行事であるので、鎮守様とか氏神として神社に祀られている神様ではないが、このことから考えても、神名の判らない神社があっても不思議ではないのである。
(この後は要約)
一般に地域の神社の始まりには田の神、山の神など特に神名のない神が祀られた。「神様」「鎮守様」「氏神様」「ご先祖様」でさしつかえなかったのだ。やがて集落が大きくなるとその中心となる拠り所が必要となり、いつか神を勧請することになった。 諏訪神社、春日大社、浅間神社、貴船神社であったり、中世に怨霊思想がはびこれば菅原道真を祀り、戦の時代には八幡様、農耕商売にご利益を求めればお稲荷様、というぐあいだ。そして現在の鎮守様となったのである。
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